心の中の想いをつづる

kimi (ぴぐっち)

2008年12月04日 21:24


清水方面へ沈む夕日。 心に染み入るようにきれいです。

私の生まれ育った煙突と製紙工場の町、富士市もよく見渡せますが
昨日と今日の赤く空を染める夕日特別な想いで見ました。

昨日の12月3日は父の命日でしたが墓参りには行ってないので心苦しく
今週末行くつもりでいます。

その前日、午後から温泉へ行く時間があったら墓参りへ行けばよかったのにと、
反省しきりですがこれが私の性分なのかも知れません。


父は長年勤めた会社を定年退職と同時といっていい位に
すぐに急性白血病を患い、過酷な闘病生活の末亡くなりました。

入院中も母に任せっきりで、あまりお見舞いに行く事も出来なかったのが
悔やまれますが、頑固な父はお見舞いに来られる事も嫌がったので仕方ありません。
実際に私は義両親と同居なので実家関係へ行くというのも気が引けていました。


私の結婚式で、両親へ捧げる言葉の時、感謝の気持ちとして、育ててくれた気持ちとして
言おうとしたけど言えなかった事をこのブログに綴ります。

結局両親への感謝の気持ちは私が読まずに、
司会者に原稿を渡し、さらっと感動もないうちに読んでもらったのですが、
前日、幼い頃からの出来事を考え、原稿に下書きし、
なんとなしに母に尋ねたけど
母もその事はみんなに公表しない方がいいと言い公表しなかった事。


  「夜中に病院へ連れて行ってくれたり、本当にありがとう。」


私は工場地帯で育ったため、小さい頃から気管支喘息で(認定患者でした)
大発作もしょっちゅう起こし、長くは生きられないと言われ続けていました。
信じられないかも知れないけど、嫌な辛い思い出ばかりなので詳しく書くのは控えます。

小学校一年の時に病気の事でいじめにあい
その後、この事は言わない方がいいと感じ、誰にも言う事はなかったです。

もちろん、体育も休むようにとか空気のいい所に引っ越すように、と言われたけど
引っ越しなんて無理だし、体育を休む理由を言いたくないので休まずにやりました。
子供って「休みます」、って言えずに体育やるよね。


当時はあらゆる薬や漢方を飲んだり、静岡まで針と灸に通ったり、
実は語るも涙の事ばかり。

西に東に良いという事を聞けば飛んで行くような生活。


中学生になったらだいぶ良くなりました。

良くなった理由は荒療法だと思っています。(絶対にこれ!!!)

小学校6年の時、毎朝マラソン大会に備え、グランドを毎朝10周?走るというのがあり
走っている時、発作が出た事もたびたびあったけど
誰にも言わずガマン。

明らかにその後は、気管支が強くなったのを実感しています。


結婚後、妊娠中は運良く喘息がでる事がなく幸いに感じており、
その後ひどい発作をおこし病院へ行ったら
なんと、点滴でスッーと咳が治まり、気管支も楽になる医学が進んだ時代になっていました。


 喘息はゼーゼー、ヒューヒューと息が出来ずに
激しい咳と痰も伴い苦しいです。

子供の頃、息ができずに肩を、大きく上げるようにやっとの思いで

酸素を体内に取り込んでいて、

不謹慎にも「このまま死んだ方が楽だな」と思ったこともしょっちゅうあります。

今は健康になったので感謝です。



まとまりのない長い文章になってしまいましたが、
私の心の中を初めて掃き出した日記なのでご勘弁を。
読んで下さった方へ。 どうもお付き合いありがとうございます。
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